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第21回アジア・アフリカを知る集い「イスラーム金融へのアプローチー利息をとらない金融とは?-」続編 まとめ

第21回アジア・アフリカを知る集い「イスラーム金融へのアプローチー利息をとらない金融とは?-」続編が4月8日(日)に行われました。講師は前回と同じ日本証券業協会国際本部国際部部長の椎名隆一先生です。

前回の内容もふまえつつ、具体的なスキームにまで話が及び、有意義な2時間の講演会となりました。ここにまとめをしましたので、ご参考までにお読みください。

 

イスラームの金融は、シャリーア・コンプライアントな金融と言われます。シャリーアとは人々の日常生活や経済活動を規定する教義のことで、シャリーア・コンプライアントとはイスラームの教えに忠実であるということを表しています。

イスラーム金融の中核的原理として、以下のものがあげられます。

利息(リバー)の禁止

不明瞭性の禁止

投機の禁止(ギャンブル、空売りなど)

クルアーンの教えに反する事業(豚肉、アルコールなど)への投資の禁止

損益分担の原則(profit & loss sharing:PLS)

実態取引の裏付け など。


現代イスラーム金融は1970年代に本格的な展開が始まりました。現在は年15%~20%の成長率で市場規模は1.3兆ドル=100兆円くらいだということです。また、ムスリム(イスラーム教徒)は、成長力の高い東南アジアから中東・アフリカ地域一帯に広がっているため、今後、同地域の経済活動の発展とともにムスリム人口も増加することが予想され、イスラーム金融へのニーズもますます拡大する見通しとのことでした。

イスラーム金融の内容は、リテール・ニーズを背景としたものが全体の3/4で、その他にはスクークと呼ばれるイスラーム債券やファンドなどがあり、シャリーア解釈が柔軟であるマレーシアには多様な金融商品が見られるそうです。イスラーム金融は、20世紀半ばから顕著となったイスラーム復古へのモメンタムと、オイルマネーに象徴される富の蓄積に支えられて発展してきたと言われます。因みに、中東諸国だけで石油埋蔵量の世界シェアは54.4%に及ぶそうです。

 

講演の後半では、イスラーム金融の基本的な取引スキームについて説明がありました。投資損益分担契約型のムダーラバとムシャーラカ、商品取引契約型のムラーバハについて説明がありました。

 

ムダーラバ

二人の当事者の一方が資金を提供し、他方が労働・ノウハウを提供して共同事業を行い、利益を分け合うパートナーシップ契約。シャリーアの規範に沿った最も望ましい取引形態とされる。いわゆる「ムダーラバ・コンセンサス」。(なお、損益分担ではなく、利益のみシェアし、損失は資金の出し手が負担)

ムシャーラカ

ムダーラバと同様、損益分担の考え方に基づく取引形態であるが、ムダーラバが利益のみ分担する(Profit Sharing)のに比べ、ムシャーラカは文字どおり損益分担(Profit & Loss Sharing)の形をとる共同出資スキームである。

ムラーバハ

実物資産を売買するイスラーム金融取引の代表例で、コスト・プラス・セール(Cost Plus Sale)と呼ばれる。ムラーバハの応用としては、バイウ・アル・イーナというものがあり、これは同一対象物を元の売主に異なった価格で買い戻しさせる取引のこと。


ムラーバハは現金ニーズへの対応で、日系金融会社のマレーシア現地法人がダイアモンドを使って顧客に融資をする手法が例としてあげられました。これは、最初に顧客にダイアモンドを10ヶ月の無金利分割払いで販売し、ダイアモンドを即買い戻し現金を顧客に支払う契約締結をする手法です。無金利とはいえ、最初に締結した契約の分割払いのほうが結果的には二回目に受け取る現金より多いため、金融会社にはその差額がもうけとして入るということになります。マレーシアでは早くから行われていたスキームですが、シャリーア解釈の厳しい中東では取り入れられていません。

 

最後に、イスラーム金融成長の第二の要因であるイスラーム復古の流れについても詳しい説明があり、中東地域の複雑なアイデンティティの交錯の歴史について理解を深めることができました。

 

以上、簡単ではありますが講演会の内容をまとめました。いらっしゃれなかった方に少しでもお役に立てられれば幸いです。

(2012.4.18 アジア・アフリカ図書館 司書 佐藤万矢子)

 


「第20回アジア・アフリカを知る集い」を終えて

社団法人中日文化研究所は、毎年2回、所内の研究会を開催しているが、そのうち1回は公開研究会として、例年、アジア・アフリカ図書館との共催で講演会を実施している。

今年は辛亥革命から100年という節目にあたるので、辛亥革命あるいは孫文をテーマとしたいと考えた。そこで、お招きした講師は、明治大学でアジア論などを教えておられる若き研究者、丸川哲史(まるかわてつし)教授である。講演のタイトルは「辛亥革命と明治維新及び五・四運動」であった。

 

教授は講演の冒頭に、孫文が自身の支持者であった犬養毅の入閣を知り、大正15年(1923年)に書き送った書簡の内容を紹介した。

 

「もともと明治維新は、実に支那革命の前因であり、支那革命は実に明治維新の後果であり、この二者は、もともと一貫したものなのです。それによって東亜の復興を図ったならば、その利害は相同しことなのです。……日本はどうして、中国革命に、欧州の武力主義をとり、わが国を嫌い、わが国を害するのでしょう。」

 

教授は、この一文から講演を始め、康有為による変法運動の挫折に触れつつ、孫文をはじめ多くの中国人が明治維新を近代化のモデルだと考えたことや、日本の中国への対応に失望した結果、孫文が容共に傾いていった経過などについて述べ、西洋列強の侵出への反応という意味で、明治維新と辛亥革命が同じ原風景を持ちながらも、日本の近代化が列強に追随する帝国主義の道を歩んだのに対して、中国が五・四運動を起点に列強の帝国主義を模倣しないという選択をしたと解説。“明治の精神”が第一次大戦で転換を図れず日中戦争へと進んだという日本近代化のストーリーと“五・四運動の精神”を国是とする中国近代化のストーリーとを比較しつつ、そこに含まれた“理念”抜きでは歴史は語れないと指摘した。

 

講演は、孫文にとっての明治維新から始まり、孔子の大同思想や日中の歴史の見方のタイプの違いという点で両国の歴史博物館の比較にまで及んだ。

辛亥革命から100年。東アジアの近代化を問いなおす時、「日中双方がお互いの歴史をどう批評しあうのか、相手方の視点を踏まえた相互運動としてこれを行うことが有効である」と締めくくった丸川教授のお話は、アジア・アフリカ図書館並びに中日文化研究所の創立の理念に相応しい素晴らしい講演であったといえる。

ちなみに、丸川教授には今回の講演に関係する著作として、『日中100年史―二つの近代を問い直す』(光文社新書、2006年)があるので紹介しておきたい。(2011年7月)

 

2011.07.22 堀中 浩(社団法人中日文化研究所 所長/明治大学名誉教授)

 


第19回アジア・アフリカを知る集い「アジア・アフリカの言語生活」まとめ

 

講師 アジア・アフリカ図書館長 西江雅之先生

 

4月23日(土)に第19回アジア・アフリカを知る集い「アジア・アフリカの言語生活」が開催され、多くの参加者がお見えになり、楽しい時を過ごされていました。

質疑応答など話題が盛り上がり、全体的に大変盛況でございました。時間も延長され、皆様興味深く聞き入っておられました。ここに簡単にまとめをいたしましたので、いらっしゃれなかった方など、御参考になればと存じます。

 

アジア・アフリカとは、それを語る立場によって話題の領域が異なります。地理、政治経済、スポーツなど、それぞれの範疇で語られるアジア・アフリカがあります。その領域は多面的に広がっています。たとえばブラジルにも日系人が住んでいます。アメリカ西海岸には中国人、ベトナム人、韓国人が多く住んでいます。このように、アジア・アフリカからは大量の人々が国外に出ているのです。たとえば古い時代から世界各地に居住している華僑は良い例です。アフリカでは、モザンビークにも、南アフリカにも中国人街があります。

人種、文化、言語が一致している例はごく一部で、モンゴロイド、コーカソイド、黒人などという分け方は抽象的です。ミルクに一滴でも墨が入ると黒人であるとされ、青い目のアラビア人も珍しくありません。

少数民族とは何か、と言いますと、アメリカでは日系人は少数民族でも日本国内には一億以上の日本人がいるわけです。また、ユダヤ人はどこの国に行っても少数民族ですが、世界中では大変な人数になります。

次に「言語の枠組み」についてです。全く違って見える言語でも、類縁関係があり、過去のある時代に分かれて来たものであることがあります。英語、ドイツ語、フランス語などと、ペルシア語、ヒンディー語は文字が違うだけで同じインド・ヨーロッパ語族です。また、言語の数ですが、世界には8500から1万種くらいと言われています。中国語のようにひとつの言語で数億人話しているものもあれば、地球上にはあと一人しか話さない言語というのもあります。カリフォルニア州だけで、1番が英語、2番がスペイン語ですが、ネイティブ・アメリカンの言語だけでも40から50種の言語が話されています。しかし、15年以内には確実にその半分以上は消えると言われています。親の言っていることが分からない子どもも増えています。

~語と呼ばれるものには、地域変種(方言)dialect (s)、と対応表現(社会方言)sociolect(s)、があります。日本のように“標準語”がある国は少ないのです。

また対応表現では例えばカリブ海域には、かつて男女で話す言語が異なっているものさえありました。日本語の赤ちゃん言葉は、お母さんが赤ちゃんに向かって言う言葉ですが、最近ではテレビやお母さんたちの会話を聞いたりして、それを真似るようになってきているので赤ちゃん言葉は減ってきました。

さて、公用語というのは、その国で法的根拠のある言葉です。地方語は各々の土地で一般的に使っている言葉です。

母語と母国語の違いについてですが、例えば、貧しい地域の人々が他の地域に長期労働で行くとすると、その人たちの子どもは行った先の言語が母語になり、母国語が出来ないという状況になります。母語が出来ないのは病理的問題であり、母国語が出来ないのは社会的問題です。インドやフィリピンでは英語は外国語ではありません。アジアでは、例えば仕事場では英語を使い、家では違う言語で話すというのは当たり前で、日本や韓国のように生活の全域で日本語、韓国語というのは珍しいことです。ダイグロッシア(diglossia)というのは、インドやアルジェリアなどの都会では普通に見られる例ですが、話題によって言語の種類が変わることがあります。学校関係の話は英語、悪口はヒンディー語になったりすることです。これを二言語使用社会におけるテーマ別の使い分けと言います。

ここでバイリンガルのアイデンティティ問題があげられます。二言語一文化は興味の表し方が英語で話しても、日本語で話しても同じである場合を言い、二言語二文化は日本語で話したならば日本人的、英語で話したら英語人的になる場合を言います。

次にピジン(pidgin)語、クレオル(Creole)語について考えてみます。日本人とアメリカ人が話す場合は、日本語でとか英語でとか、どちらかの言語で話します。チェコ人と日本人が話す時は、どちらかの言語か、英語など第三の言語で話します。ある場合そこに新しい言語が生まれることもあります。これがpidginです。ハイチなどのように、それが広がり、広い地域で母語として話されるようになると、その言語はクレオル語になります。

最後に言語というものの仕組みについて触れておきます。

日本語の音素の数は36ほどですが、メラネシアには10数種という音素の言語があります。クルド語などでは40種以上の音素があります。意味については、英語の場合はI love you.は単語がありますが、スワヒリ語では小さな意味単位が連なります。言語の中には、単語は声調で違う意味になる例が非常に多くあります。中国語はその一例です。

 

その他、ここではご紹介できない沢山のお話がありましたが、割愛させていただきます。

 

この集まりでは、アジア・アフリカの興味ある話題を選んで紹介します。是非、次回のアジア・アフリカを知る集いにいらしてください。メールアドレスがわかっている方はメールにてお知らせいたしますし、そうでない方は、ホームページ上で掲載いたしますので、お電話をいただければ申し込むことができます。次回も宜しくお願いいたします。

 

(2011.5.18 アジア・アフリカ図書館 司書 佐藤万矢子)

 


兼若逸之先生の「韓国文化の不思議な深さに触れよう」

少し前の話になりますが、私は仕事で韓国に行く機会が多いので、当財団と東京女子大学三鷹ネットワーク大学で共催した兼若先生の「 韓国文化の不思議な深さに触れよう-快いカルチャーショック- (全五回) 」を受講生として受けてきました。 

「キムチの秘密」や「子どもの名前の付け方」など各回ともに興味深い内容で、とても楽しく受講させていただきました。中でも第一回の「 歌うハングル天地人 」で教えていただいたハングルの母音を構成するパーツである天地人「天(短い棒)、地(横棒)、人(縦棒)」のお話と「アヤオ体操」が強烈に印象に残っています。

アヤオ体操はハングルの母音を覚える為の歌と体操ですが、先生と一緒に歌いながら(体操しながら)鳥頭の私でもこれなら覚えられるぞ!!と俄然やる気になったものです。早速ご紹介しますのでハングルに興味のある方は是非映像までご覧下さい。


いきなり映像をみてもチンプンカンプンだと思うので、先ずはハングルの母音をご覧下さい。(汚い字のメモつきで恐縮ですが・・・)

 

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そして映像「アヤオ体操(兼若逸之先生ご本人)」です。


私のつたない説明では伝わりづらかったと思いますが、この体操とハングルの大体の形を覚えれば母音を忘れてしまった場合でも思い出せるのではないかと思います。

今回の講座副題にもありますが、まさにカルチャーショックを受けました。教えていただいた事を生かして今月から韓国語学習をはじめたいと思います。


兼若逸之先生と

兼若逸之先生ブログ: 兼若博士の「一緒にハングル1000万」

(2011.5.10 事務局 吉井寛朗)

 


"ワイヤレス" の時代

 

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画像をクリックすると拡大します。

出展:図書新聞(2011年1月1日 第2996号)
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/index.php


(2011.2.24 アジア・アフリカ図書館館長 西江雅之)


「出会いは実力だ」

 

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(2011.1.19 アジア・アフリカ図書館館長 西江雅之)

朝日新聞 2008.9.2 掲載
(画像・文章を朝日新聞社に無断で転載することを禁止します。)

 


中国図書の寄贈

12月15日。三鷹市在住の本庄創さんが来館。本庄さんは故・片山かず子さんの知人で、十数年前にはご両人とも当館に何度も足を運び、アジア・アフリカ諸国について勉強、その後は多くの国々を訪問なさったとのことです。今回の本庄さんの来館は、その片山さんが生前に中国で集めた書籍四〇冊ほどを当図書館に寄贈して下さるためでした。寄贈本の内容は、中国の気功と大極拳に関する研究書です。早速、整理して中国図書の棚に置かせていただくことにしました。片山さん、本庄さん、御厚意に感謝申し上げます。片山様のご冥福をお祈り申し上げます。

 

(2010.12.17 アジア・アフリカ図書館館長 西江雅之)

 


「北京の郭沫若記念館から来客」

12月7日、北京にある“郭沫若記念館”の副館長李焼虹さんと、同じく副館長である趙笑潔さんが来日し、当“沫若文庫”を訪問されました。お二人は,昨年の同じ時期にも来館されましたが、今回は二日間の余裕もあり、当館の収集資料をゆっくりと御覧になりました。また、当館では、財団理事長の菊地弘、常務理事の木村実季,図書館長の西江雅之、図書館司書の佐藤万矢子と共にひと時を過ごし、北京の郭沫若記念館と当館との今後の協力関係は如何にあるべきかということなどを、ざっくばらんに話し合う機会を持つことも出来ました。


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  中国の著名な文人で、新中国を代表する政治家の一人でもあった郭沫若が、日本で亡命生活を送られた時期(1928~37)に行った研究の資料や当時の著作などが、当“沫若文庫”には収集されていますが、特に著作類には自筆で書き入れた手沢(しゅたく)本が多く含まれており、それらは学術上も大変貴重な資料とされています。来館なされたお二人は、それらの資料を丹念に見てまわり、必要な箇所をカメラに収めたり、ノートに記録したりして、大きな収穫が得られたことを大変満足して帰国なさいました。

お二人が、特に注目なされた書籍には、

 

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などの古代文字研究、および、掛け軸(自筆の書)が数点、ガラスケース中の胸像などがあります。

なお、当日は、九州大学大学院で郭沫若の研究を続けておられる岸田憲也さんが通訳としてお二人に同行して下さいました。

 

2010/12/17 アジア・アフリカ図書館館長 西江雅之

 

 

 

 


第18回アジア・アフリカを知る集い まとめ [レポート]

 

11月20日にアジア・アフリカ図書館長である西江雅之先生の講演会がありました。

今回のテーマは「新しい言語の誕生」と題して、ピジン語、クレオル語についてお話いただきました。たくさんの方においでいただき、盛況でした。
簡単ではありますが、内容のまとめをいたしました。

世界には大小様々な8,500種~10,000種の言語があるとされますが、20年以内に数百の言語が地上から消える可能性があります。現在でも、ある言語は話す人が一人しかいない状況すら見られます。言語数が曖昧である理由としては、方言が数に入っていたり、同じ言語に呼び名がいくつもあったりするからです。また、日本語のように標準語がある言語は珍しい例です。

人間の歴史は、移動と接触の歴史です。今回の話題は、接触した二種以上の異なった言語が、接触の結果、仕組み(構造)が異なった言語を生み出すことになる話です。

・ピジン語  
民族移動、戦争、貿易、強制移動、奴隷貿易などで異言語を話す人同士が接触したときに、何も変化がない場合もありますが、二言語話者が登場することもあります。一方は母語、もう一方は(その場の用件のみに役立つ)第二言語という状態で、新しい言語が形成される場合もあります。それがピジン語です。場合によってはそのピジン語が全土に広がっていき、住民全体の母語になってしまうこともあります。深入りしたピジン語が住民全部の母語となるのです。それがクレオル語です。

・クレオル語 (Tok  Pisin, パプアニューギニアの言語)
単語の例:
meri 女 manmeri 皆さん pikiniki man 男の子 buk 本 haus sik 病院 
kaikai 食べ物(kaikai はポリネシア語)

文章の例:
わたしの妻は(体が)小さい。
Meri bilong mi i smolpela.  
 Meri 女, bilong は英語のof,  smolpela 英語のsmall fellowから。

ここにあげたのはほんの一例ですが、講演会では他にもさまざまな文例をあげて説明なさいました。

これによって興味がわいた方は、次回のアジア・アフリカを知る集いに是非足をお運びください。

 

(2010.11.20 アジア・アフリカ図書館 司書 佐藤万矢子)

 

 

 


寒山寺の烏は夜鳴くか [図書館関連]

 

「寒山寺の烏は夜鳴くのか」とは、アジア・アフリカ図書館に寄せられた一般の方からのご質問で、レファレンスとして対応した。

寒山寺は中国江蘇省蘇州にある臨済宗のお寺で、日本人には観光地として有名。冒頭の質問は、寒山寺に石碑がある唐代の詩人・張継の「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)に関するものである。日本人にも馴染みのある漢詩で、その拓本がお土産として売られている。

 

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さて、質問の主旨はその解釈についてである。夜に烏が鳴くのはおかしかろう。蘇州の地図を見ると烏啼山(うていざん)という山がある。「月、烏啼に落ちる」と読むのが正しいのではないのか、という疑問である。
調べてみると、この七言絶句の解釈については「月落烏啼」の箇所だけではなく、宋代の歐陽脩(おうようしゅう)が「夜半鐘声」の箇所について「夜に鐘をつくことはない」と指摘するなど、よく知られた論争がある。

寒山寺の周辺には山がないこと。烏啼山という名前は「楓橋夜泊」が有名になってから名付けられたものだという理由により、人口に膾炙した「月落ち烏啼いて」が通説になっている。夜につく鐘についても、唐代には夜間でも時刻を知らせるための鐘があったと、その論争は決着しているようだ。ちなみに、寒山寺で「除夜の鐘」を聴く越年ツアーなるものがあり、大晦日の境内は日本人で溢れんばかりだそうである。

図書館では、蔵書に関する問い合わせの他に、この類いのレファレンスサービスにも応じている。回答のための調査を外部に委嘱しない限りは無償である。
有償ではあるが、翻訳の依頼も受けている。利用して頂きたい。

 

(常務理事 木村、2010/11/15)

 


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