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訃報 郭博先生御逝去

財団法人アジア・アフリカ文化財団 理事長 菊地 弘

 

悲しいお知らせであります。当法人の姉妹機関である中日文化研究所(略称、中文研)のかけがいのない後援者であられた郭博(かくはく)先生が上海の華東病院にて逝去されました。2010年12月13日のことであります。享年90歳でした。

先生は中国を代表する偉大な文化人郭沫若先生の御次男で、中日文化研究所に対しては、昭和22年の創立から今日に至るまで六十有余年にわたり物心両面からさまざまな支援の手をさしのべてこられました。

例えば研究所が創業当時から使っていた東京銀座の教文館ビルの事務所が家主の都合で移転しなければならなくなり、苦境に立っていた時に、郭博先生は東京新宿の西大久保にあった御自分の設計事務所を研究所のために直ちに提供して下さいました。おかげで中国語の講習会、中国事情の研究会、出版、展示、展覧会など研究所の活動は絶えることなく続けられたのです。

何より忘れてはならない先生の貢献は「沫若文庫」の創立事業であります。博先生の御尊父郭沫若先生は1928年に当時の政権の迫害を逃れて日本にわたり10年間、日本で亡命生活を送られました。この間に中国古代史研究を中心に、さまざまな学問的業績をあげられ、また文学的著述も多く残されました。

夫人の郭安那女史は旧姓を佐藤をとみといい、仙台伊達藩士の娘で、夫郭沫若の研究生活を支えつつ、郭和夫、郭博ら5人の子女の養育にはげんだのであります。新生中国の成立とともに日本の郭御一家は順次中国へ引き揚げられましたが、次男の博先生は最後まで日本に残り、家財の管理に当られました。

博先生は京都大学出身の一級建築士で、この分野では一家をなした技術者であります。その才能と経験を祖国で生かすため昭和31年に帰国の途につかれました。この時に父君郭沫若先生が研究著述に使われた書籍や資料、文具類を一括して中日文化研究所に寄贈されました。郭沫若先生の御意向によるものでした。

当時の中文研所長の菊地三郎先生はこれを受けて資料や書籍類を一括保存する「文庫」の設立を構想し、これが今日のアジア・アフリカ図書館として実現しました。図書館に加えてアジア・アフリカ語学院も設立され、これらを一括運営する組織として現在のアジア・アフリカ文化財団が発足したのです。

郭博先生の存在と御尽力がなかったら中文研も財団の存在もなかったかもしれません。先生はその意味で生みの親の1人であり、恩人でもあります。日中のかけ橋としての御生涯は両国の多くの友人や人民の心にいつまでも忘れ得ぬ足跡を刻みました。日中両国の永遠の友好を信じつつ、博先生の安らかな御冥福をお祈り申し上げます。

(2010年12月22日)